楽しみながら強くなれる!田村装備開発(株)の『ガチタマTV』!
2016年10月15日
彼らはベトナムで戦死した
ご無沙汰しておりましたチベスナです、
このブログ、アメリカ陸軍第199軽歩兵旅団について記載していく予定だったのですが、なんだかPRC関連の記事が多いですよね、調べてこのブログに来ていただいた方の殆どが無線関連だったりします、
ブログの方向性を見失ってきているような気がしますので、
今回は第199軽歩兵旅団のベトナムでの人員損失に付いて書きたいと思います。
地味な話題かも知れませんし、こんな情報何の役に立つんだよwとも思うかも知れませんがこのブログ自体誰かの役に立ってるとは言い難いので別にいいや。(投げやり)
部隊別戦死数
HHC199 10
合計 10人
第12歩兵連隊第4大隊
HHC4/12 3
A 38
B 38
C 53
D 40
E 22
合計 194
第12歩兵連隊第5大隊
HHC5/12 6
A 25
B 24
C 20
D 22
E 7
合計 104
第7歩兵連隊第3大隊
HHC3/7 7
A 55
B 37
C 26
D 21
E 19
合計 165
第3歩兵連隊第2大隊
HHC2/3 10
A 38
B 45
C 46
D 45
E 8
合計 192
第40砲兵連隊第2大隊
HHB2/40 3
AB 4
BB 10
CB 1
DB 7
合計 25
第17騎兵連隊D分隊
合計 31
第71LRP
合計 7
第75歩兵連隊
合計 2
第49スカウトドック小隊(SDP)
合計 5
第76コンバットトラッカ―チーム(CTT)
合計 4
第87工兵中隊(ENG)
合計 7
第7サポート大隊
A 5
B 2
C 2
合計 9
第152憲兵小隊(MP)
合計 2
合計人員損失数757人
こんな感じ、戦死の死因は爆死、銃撃、溺死、榴弾、地雷、焼死、事故、交通事故、病死、等です、
旅団最初の戦死者はB4/12のPVT Gardner, Glenn V.氏(19)で死因は溺死です。
また、最後の戦死者はA5/12のSTG Suydam,James L.氏(22)で死因は交通事故死です
(この事故では複数人死亡しているので最後の戦死者は正確には4人居ます)
ついでに戦死最少年齢は18歳で最高年齢は旅団長であったウィリアム・ボンド准将の51歳に成ります。
個人的に気になった戦死ですが、憲兵部隊の二名が戦死理由に手榴弾と書かれていました。これが敵の攻撃だったのかは判りません、152憲兵の本が有った気がするので、読んでみて判ったら追って連絡します。
それと砲兵連隊所属で戦死している尉官はFOだったのかな??その辺りも戦死者の名前が書かれた表だけでは判りませんが非常に気に成っています。
このブログ、アメリカ陸軍第199軽歩兵旅団について記載していく予定だったのですが、なんだかPRC関連の記事が多いですよね、調べてこのブログに来ていただいた方の殆どが無線関連だったりします、
ブログの方向性を見失ってきているような気がしますので、
今回は第199軽歩兵旅団のベトナムでの人員損失に付いて書きたいと思います。
地味な話題かも知れませんし、こんな情報何の役に立つんだよwとも思うかも知れませんがこのブログ自体誰かの役に立ってるとは言い難いので別にいいや。(投げやり)
部隊別戦死数
HHC199 10
合計 10人
第12歩兵連隊第4大隊
HHC4/12 3
A 38
B 38
C 53
D 40
E 22
合計 194
第12歩兵連隊第5大隊
HHC5/12 6
A 25
B 24
C 20
D 22
E 7
合計 104
第7歩兵連隊第3大隊
HHC3/7 7
A 55
B 37
C 26
D 21
E 19
合計 165
第3歩兵連隊第2大隊
HHC2/3 10
A 38
B 45
C 46
D 45
E 8
合計 192
第40砲兵連隊第2大隊
HHB2/40 3
AB 4
BB 10
CB 1
DB 7
合計 25
第17騎兵連隊D分隊
合計 31
第71LRP
合計 7
第75歩兵連隊
合計 2
第49スカウトドック小隊(SDP)
合計 5
第76コンバットトラッカ―チーム(CTT)
合計 4
第87工兵中隊(ENG)
合計 7
第7サポート大隊
A 5
B 2
C 2
合計 9
第152憲兵小隊(MP)
合計 2
合計人員損失数757人
こんな感じ、戦死の死因は爆死、銃撃、溺死、榴弾、地雷、焼死、事故、交通事故、病死、等です、
旅団最初の戦死者はB4/12のPVT Gardner, Glenn V.氏(19)で死因は溺死です。
また、最後の戦死者はA5/12のSTG Suydam,James L.氏(22)で死因は交通事故死です
(この事故では複数人死亡しているので最後の戦死者は正確には4人居ます)
ついでに戦死最少年齢は18歳で最高年齢は旅団長であったウィリアム・ボンド准将の51歳に成ります。
個人的に気になった戦死ですが、憲兵部隊の二名が戦死理由に手榴弾と書かれていました。これが敵の攻撃だったのかは判りません、152憲兵の本が有った気がするので、読んでみて判ったら追って連絡します。
それと砲兵連隊所属で戦死している尉官はFOだったのかな??その辺りも戦死者の名前が書かれた表だけでは判りませんが非常に気に成っています。
2016年08月21日
ウィリアム ボンド氏の軍歴
こんにちは、チベ砂です、今回は69年から70年4/1日まで第199軽歩兵旅団を指揮した准将、William R bond氏に付いて書きたいと思います。
199軽歩兵旅団と聞いてベトナム戦争に付いて調べてる人や、マニアでは第七歩兵連隊がテト攻勢時に敵司令部があった競馬場を奪還している、とかベトナムで唯一戦闘中に攻撃を受け旅団長が戦死しているとかそのあたりを聞いた事が有る方は居ると思います、
ベトナム戦争中で戦死した将官は数人居ますが、ヘリの事故だったり砲撃だったり心臓発作等、戦闘地帯の地上で戦死した将官はそんなにいません、というより、KIAした将官は199軽歩兵旅団のボンド准将しかいないんですよね。
そんなわけで、今回は准将の経歴に付いて調べて行きたいと思います。

生い立ち
1918年12/9日にメリーランド州で誕生します
36年から40年まではメリーランド大学に在籍し学士号を取得してます
軍隊入隊前の行動はこれくらいしか判りませんでした。
入隊後の功績
1940年にアメリカ陸軍に入隊します
1940~42 PVTから順々にSSGへ(昇進速度早すぎませんかね…)
1942~42 アメリカ陸軍士官候補生学校(OCS)入隊 2Ltへ
1942~43 第82空挺師団勤務、勤務中にLtへ昇進
1943~44 レンジャー第1大隊勤務 CPtに昇進
1944~45 アンティオにて作戦中にPOW/MIA(11カ月間)
1946~48 Majに昇進、 韓国軍事顧問団勤務
1947~47 アメリカ陸軍指揮幕僚大学入隊(CGSC)
1949~50 韓米連合司令部勤務(UNC)
1950~51 LCLに昇進 陸軍歩兵学校、レンジャー訓練旅団勤務
1952~54 士官学校勤務
1959~60 ベトナム軍事援助顧問団(MAAG VIETNAM)
1960~62 陸軍省(DA)勤務 CO1に昇進
1964~65 101空挺師団第2旅団旅団長
1965~67 軍事援助コマンドMACタイ
1967~69 陸軍省(DA)勤務
1969~70 BGに昇進 第199軽歩兵旅団旅団長勤務 70年4/1日戦死
と、まぁ簡単な経歴を紹介しました、WW2時の兵階級だった時代の情報がほとんどないし滅茶苦茶早く昇進してる辺りがなんか凄く不自然と言えば不自然ですが、公式記録なので…
途中に記録が無い年月が有りますが、それは良くわかりません。
受賞した勲章、バッジ
バッジ類
CIB 2nd Award
Basic Parachutist (1 combat jump)
Thailand Jump Wings
Meritorious unit commendation 1944-1961
Army staff identification
infantry shoulder cord
ranger tab
Overseas Service Bans *10
勲章(右胸)
Army Presidential Unit Citation
Valorous Unit Award
Vietnam presidential Unit Citation
Vietnam Gallantry Cross Unit Citation
左胸
Army Distinguished Service Medal
Silver star
Legion of merit *2
Distinguished Flying Cross
Bronze star *2+V
Purple Heart
Air Medal *8
Army Commendation Medal *2
Prisoner of War Medal
American Defense Service Medal (1941~46)
American Campaign Medal (1941~46)
Europe/African/Middle Eastern campaign *6+Arrowhead Device
World War 2 Victory Medal
Army of Occupation Medal (1945~1990)
National Defense Service Medal *2
Armed force Expeditionary Medal
Vietnam Service Medal *4
UNSM Truce Supervision Organisation in Palestine (UNTSO)
Vietnamese Honer Medal 1st Class
Republic of Vietnam Campaign Medal
タイ軍からの受賞
Knight Commander Grade Medal 1970.3/1
ざっとこんな感じです、制服組みたい方は参考にどうぞ、
バッジ類や勲章をみるとバリバリ戦ってる准将だなって思います「*数」の記載は複数授与の回数を意味しています
戦死
1970年4月1日、准将は前線を視察するためにヘリコプターへ乗り込みサイゴンから北東70マイル地点
war zone Dの北東端(現在のカッティエン国立公園辺り)に降り立ちます、
ヘリコプターから降りて数メートル歩いたところで北ベトナム軍、もしくはベトコンの狙撃を胸に受け受けゾーンD内部にある24th evacuation hospital (ビエンホア) にヘリで搬送されましたが、数分後に戦死が確認されました。
24thの四等特技兵が血まみれのTCUから階級章とネームパッチを取り外し、茶色のペーパータオルに包んだそうです。
第24病院(コールサイン:Queen Tonic)の位置はサイゴン北東の少し上にあります

死後
アーリントン墓地に埋葬されたのちに、マサチューセッツ州ストックブリッジ墓地に埋葬されました。
199軽歩兵旅団と聞いてベトナム戦争に付いて調べてる人や、マニアでは第七歩兵連隊がテト攻勢時に敵司令部があった競馬場を奪還している、とかベトナムで唯一戦闘中に攻撃を受け旅団長が戦死しているとかそのあたりを聞いた事が有る方は居ると思います、
ベトナム戦争中で戦死した将官は数人居ますが、ヘリの事故だったり砲撃だったり心臓発作等、戦闘地帯の地上で戦死した将官はそんなにいません、というより、KIAした将官は199軽歩兵旅団のボンド准将しかいないんですよね。
そんなわけで、今回は准将の経歴に付いて調べて行きたいと思います。

生い立ち
1918年12/9日にメリーランド州で誕生します
36年から40年まではメリーランド大学に在籍し学士号を取得してます
軍隊入隊前の行動はこれくらいしか判りませんでした。
入隊後の功績
1940年にアメリカ陸軍に入隊します
1940~42 PVTから順々にSSGへ(昇進速度早すぎませんかね…)
1942~42 アメリカ陸軍士官候補生学校(OCS)入隊 2Ltへ
1942~43 第82空挺師団勤務、勤務中にLtへ昇進
1943~44 レンジャー第1大隊勤務 CPtに昇進
1944~45 アンティオにて作戦中にPOW/MIA(11カ月間)
1946~48 Majに昇進、 韓国軍事顧問団勤務
1947~47 アメリカ陸軍指揮幕僚大学入隊(CGSC)
1949~50 韓米連合司令部勤務(UNC)
1950~51 LCLに昇進 陸軍歩兵学校、レンジャー訓練旅団勤務
1952~54 士官学校勤務
1959~60 ベトナム軍事援助顧問団(MAAG VIETNAM)
1960~62 陸軍省(DA)勤務 CO1に昇進
1964~65 101空挺師団第2旅団旅団長
1965~67 軍事援助コマンドMACタイ
1967~69 陸軍省(DA)勤務
1969~70 BGに昇進 第199軽歩兵旅団旅団長勤務 70年4/1日戦死
と、まぁ簡単な経歴を紹介しました、WW2時の兵階級だった時代の情報がほとんどないし滅茶苦茶早く昇進してる辺りがなんか凄く不自然と言えば不自然ですが、公式記録なので…
途中に記録が無い年月が有りますが、それは良くわかりません。
受賞した勲章、バッジ
バッジ類
CIB 2nd Award
Basic Parachutist (1 combat jump)
Thailand Jump Wings
Meritorious unit commendation 1944-1961
Army staff identification
infantry shoulder cord
ranger tab
Overseas Service Bans *10
勲章(右胸)
Army Presidential Unit Citation
Valorous Unit Award
Vietnam presidential Unit Citation
Vietnam Gallantry Cross Unit Citation
左胸
Army Distinguished Service Medal
Silver star
Legion of merit *2
Distinguished Flying Cross
Bronze star *2+V
Purple Heart
Air Medal *8
Army Commendation Medal *2
Prisoner of War Medal
American Defense Service Medal (1941~46)
American Campaign Medal (1941~46)
Europe/African/Middle Eastern campaign *6+Arrowhead Device
World War 2 Victory Medal
Army of Occupation Medal (1945~1990)
National Defense Service Medal *2
Armed force Expeditionary Medal
Vietnam Service Medal *4
UNSM Truce Supervision Organisation in Palestine (UNTSO)
Vietnamese Honer Medal 1st Class
Republic of Vietnam Campaign Medal
タイ軍からの受賞
Knight Commander Grade Medal 1970.3/1
ざっとこんな感じです、制服組みたい方は参考にどうぞ、
バッジ類や勲章をみるとバリバリ戦ってる准将だなって思います「*数」の記載は複数授与の回数を意味しています
戦死
1970年4月1日、准将は前線を視察するためにヘリコプターへ乗り込みサイゴンから北東70マイル地点
war zone Dの北東端(現在のカッティエン国立公園辺り)に降り立ちます、
ヘリコプターから降りて数メートル歩いたところで北ベトナム軍、もしくはベトコンの狙撃を胸に受け受けゾーンD内部にある24th evacuation hospital (ビエンホア) にヘリで搬送されましたが、数分後に戦死が確認されました。
24thの四等特技兵が血まみれのTCUから階級章とネームパッチを取り外し、茶色のペーパータオルに包んだそうです。
第24病院(コールサイン:Queen Tonic)の位置はサイゴン北東の少し上にあります

死後
アーリントン墓地に埋葬されたのちに、マサチューセッツ州ストックブリッジ墓地に埋葬されました。